旧本堂は、九間四面破風造り宏大な
建築物でした。
これは三十世住職、俊栄が宝永六年に
六十万人講を興こし本堂の造営を志しました。
  そして三十二世住職智海の代に、
(享保三年・1718)海岸に漂着した
木材を使用して建築したものでした。
しかし、第二次大戦中に荒廃し
取壊しの憂き目を見て現存しておりません。

 
  現在の本堂は、四十五世住職亮俊が再建を発願、檀信徒の浄財を募って
昭和四十三年に落成したものです。
間口七間奥行六間半、破風造りで、鉄筋コンクリート造りです。
堂内には、旧本堂の欄間を収めています。
これには地獄極楽図(房州の井上円徹作と言い伝えられている)が彫刻されています。
「房総志料続編」には、「欄間彫刻、地獄、畜生左、天道、人道中、
内に白衣観音の像一体、修羅、餓鬼右、内に地蔵尊、小児、左の中より右へ閻魔
大王、左方隅脱衣婆、火の車の様子、釜の中より血の煮えこぼれるありさま、
誠に肝に銘じ、肌寒くなる程恐ろしく思わる。
「其余、臼にてつかるるもの、あたまへ釘をうたるるもの、目もあてられぬ次第なり。」
とあるように、その写実的な図柄は、
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の情景をたくみに描写しています。
これは、訪れる人々の洗心の糧として貴重なものになっています。